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カテゴリー「日記」の検索結果は以下のとおりです。

毎日日記を書くのはなかなか厳しい

  • 2013/07/08 18:22
  • カテゴリー:日記

さすがに働き始めると日記を書くのも厳しいですね。
特に書く事が無いとなおさらです。
先週は、帰宅してからパソコンをほとんど動かさなかった日もありましたし。

勤務開始から1週間経ちましたが、
ようやく仕事にも慣れてきて生活のリズムも安定してきました。
最初は自分の仕事が無い時もありましたが、
徐々に任される仕事も増えてきて本格的になってきたと思います。
あまり忙しすぎるのも大変ですが、
仕事が無いのもどうかとおもいますので良い傾向ではないでしょうか。
まあ時給900円分の仕事はしっかりやりましょう。
やるべき事をやらないと前に進めませんから。
ここで長く働くにせよ、別の職場に移ってしまうにせよ。

初めての職場はいつも緊張する

  • 2013/07/01 18:16
  • カテゴリー:日記

新しい職場での一日が終わりました。
最初は何をしたらいいのか分からず緊張した部分もありましたが、
担当の仕事が始まると落ち着いて仕事ができたと思います。
ただ、少しだけ集中力が足りなかった部分もありました。
何事も最初が肝心ですからそこは反省。
明日からはまたピシッとするようにしましょう。

職場の環境は悪くなかったと思います。
逆に、仕事用のパソコンまで用意してくれたので、
少し恐縮してしまいました。
ここまでしてもらえると他の(製造・検査の)派遣の方に少し悪い気も。
今までの食品工場の時よりも体力的には楽になると思うので
しっかりと期待に応えていきたいです。
とにかく頑張っている姿を見せていかないと。

新しい仕事がはじまる

  • 2013/06/30 20:41
  • カテゴリー:日記

明日からようやく新しい派遣の仕事が始まります。
今週1週間はダラダラした生活が続きましたが
また気を引き締めていきたいです。
新しい職場で仕事を上手くやっていけるかどうか不安ですが、
自分のできる事をやっていければと思います。
時給900円の仕事ですしそこまで複雑な内容ではないでしょう、たぶん。
待遇に関しても制服を用意してくれたりするので、
特別悪いというわけではありません。
今度は期限のある仕事ではないので、
正社員の職が見つかるまでは長く働きたいです。
長く働くと派遣から正社員という道もあるそうなので。
もちろん過度な期待は禁物ですが。

1年ぶりの収入

  • 2013/06/24 17:52
  • カテゴリー:日記

派遣の食品工場の仕事が先々週で終わり、しばらく暇な状態が続いています。
実は、今日になってようやく新しい派遣の仕事が決まりましたが、
始まるのは来週の月曜日からです。
今週から働けると思っていただけに少し肩すかしをくらいました。
もちろん、正社員の応募はしていますが、
面接があるとしたら来週になると思われますので今週はやっぱり暇に。
早く働きたいだけに少し気持ちが落ち着きません。
と言いますか、そうしないとお金が全く稼げないので不安になります。
家にも居づらいですし(汗)。

明日待ちに待った給料日。
自分の口座にお金が入ってくるなんて1年ぶりです。
早速何か使おうかと思いましたが、今現在は特別欲しいものはありません。
強いて言えば、金欠状態で進まなかった
知的財産管理技能検定2級の勉強を再開しようかと。
テキスト代だけで\15,000以上、受験料が\15,000丁度でしたから
お金がない状態で手を出すのは勇気が必要でした。
ただ、私は2015年の3月までに受けないと2級の受験資格がなくなり、
そうするとまた3級からやり直す羽目になります。
まだ時間はありますが、
いつまでも放っておくと忘れそうな気がするので早めに受ける事にしましょう。

実家に戻って2週間が過ぎて

  • 2013/05/21 04:19
  • カテゴリー:日記

報告が遅れて申し訳ございませんでした。
予定通り、今月の7日に実家に戻りました。
実家に帰ったからといって事態が好転するとは思えませんが、
何もせずにダラダラ向こうで過ごしているよりはマシでしょう。
実家からの方が派遣やアルバイトもしやすいですし、
家賃や光熱費も掛かりませんから。
家で求職活動をしているだけでは仕方ないので早速何かする事にしますか・・・

実は意外と早く派遣の仕事が決まりました。
先週の月曜日から近くの食品工場で派遣の仕事が始まり、現在も働いています。
内容は商品の袋に機械でシールを貼るというもの。
期間は1ヶ月だけで時間帯は夜勤です。
時給900円(22時以降は割増)ですが、
実家の相場を見てみるとそこそこの金額ではないでしょうか。
近所では時給750円のアルバイトとかも平気でありますし。
実家に戻って1週間も経たない内に仕事が始まってしまい慌ただしいですが、
これも仕事のリハビリだと思ってしっかり働こうと思います。


さすがにきちんと働くのは久しぶりですので開始直後は体全体が痛くなりました。
1週間経ってようやく慣れてきましたが、やはり1年のブランクは大きかったです。
そこまで重労働というわけではありませんが、
会社に拘束されるという事がここまで辛いとは思ってもいませんでした。
派遣の会社の方から伝えられた業務以外も平気でやらされますし、
思ったよりもやる事が多いため意外と大変です。
とはいえ、これでもかつては大阪などに出張して肉体労働をしていた身。
この程度で悲鳴を上げていては昔の自分に笑われてしまいます。
仮に正社員の仕事が決まった際、
『体力的についていけない』という状況に陥っては困る訳ですから
1日も早く体力を取り戻したいです。

あの東日本大震災から2年が経って

  • 2013/03/11 22:22
  • カテゴリー:日記

今日で東日本大震災から2年です。
自分にとっては様々な意味で忘れられない出来事です。


去年の日記では『嫌な日』と書いた事に対して指摘を受けました。
それでも、実家の地方が大惨事に遭い私が職を失った原因の日です。
ですから、たとえ他の方の記念日であっても
申し訳ありませんが『嫌な日』という私個人の想いは変わりません。
震災を境に、辛かった事・悔しかった事・悲しかった事、
それぞれ一杯ありましたから。

震災が発生した時は様々な声を聞きました。
部活の後輩の祖母の方が奇跡的に救出されたり、
知り合いの親戚の方が亡くなってしまったりと全てが思い出せない程です。
中には、震災直後にヤフオクを行った時に、
被災地の出品者の方から落札してお互いに励ましの声を送ったりもしました。
それでも、このような事があったからこそ、
―陳腐な表現ではありますが―『絆』というものを改めて感られたのだと思います。
現在の日本社会で忘れかけていたかもしれないものです。
それが、一時的で偽善的なものであったとしても。


そして私は現在、正社員はおろかアルバイトにも就けていない状況です。
今はアルバイトを中心に探していますが、
今月末にアルバイトさえ見つからないようでしたら実家に戻る予定です。
このまま一人暮らしをしていても更にジリ貧の状態に陥ってしまいますから。

正直、去年に会社を辞めた直後は、

「次の仕事くらいすぐに見つかる。書類選考も一杯通っているから大丈夫だろう」

と高をくくっていました。
しかし、それは非常に甘かったです。
面接では厳しい事を指摘され毎回不採用になるという憂き目に何度も遭いました。
これも、自分が何をしたいという戦略の欠落が原因だったと思います。
その戦略もいまの所明確なものが見えていません。
文字通り先が見えていない状況です。
これを打破するには自分の状況や能力を踏まえて今後を考えるしかありません。
少なくとも、正社員・サラリーマンというものに固執しない事からはじめます。


一時期は、面接の不採用などの影響で途轍もない絶望感を感じ、

「自分なんて社会にとって何の価値も無い。死ぬしかない」

と自殺さえ頭によぎりました。
それでも今は、

「自分がどうあれ世界が今後どうなっていくのか見てみたい」

という思いの方が強いです。
少なくとも、自分自身の手で死を選ぶという選択肢は捨てました。
両親や兄、親戚には迷惑をかけるかもしれませんが、
生きていく事こそが何より大切だと思うので。
第一、自分が死んでしまっては
国会図書館へ寄贈する後継者が現れるかどうか分かりませんし。


この生き方でしたら仙人になる事が理想的でしょう。
霞を食べて生きられるようになり、俗世を俯瞰的に見る事ができます。
しかし、私には地獄で両親が滅多打ちにされる光景を見て
声を出さない事はできません。
だからこそ、私は『人間』なのだと思います。

自分の仕事とは、生き方とは

  • 2013/01/25 22:42
  • カテゴリー:日記

求職活動を始めてから遂に1年が経とうとしています。
今月も色々と面接を受けましたがどこも結果は不採用ばかり。
定職に辿り着ける気配が一向に見えません。


そのような中でハローワークの方と自分の仕事選びについて相談してみました。
話をして今まで自分では気が付かなかった点が数多くありました。
ただ、それ以上に感じた事は、

自分にはサラリーマンという生き方は向いていないのでは?

という事です。
今まで2社を経験し営業と事務の両方の仕事もやってきましたが
どちらも自分には合っていないような気がしました。
社内のドロドロとした光景も目にしてきましたし、
それが嫌だったというのもありました。
確かにこうした組織内での対立は会社に限らずどこででも起こります。
決して人と接する事が嫌というわけではありません。
ただ、自分がそのような場所で力を発揮するのが肌に合わない感じがします。


正直、自分がどのような職業で仕事をしたいのかは今も分かりません。
唯一自分の頭の中で分かっているのは、

自分で何かを表現してそれを認められたい

という事です。
別に死後に評価されても良い、ほんの些細な物でも良い、
自分が表現した物をこの世に残したいと強く感じています。
今まで行ってきた国会図書館への寄贈も
そのような想いがあったからこそ続けられてきました。
縁の下の力持ちとして地道に人々を支えていきたいという考えと、
多くの人々からさりげなくでもいいから認められたいという矛盾した考えが
こうした行為を続けさせていたのだと思います。


私には絵を描く事や作曲する事は出来ません。
また、読書量の少なさから素晴らしい文章を書く事もできません。
ですので『それならお前はどのような仕事がしたいのだ』と問い詰められると
言葉に詰まってしまいます。
今自分ができる事といえば、
せいぜいアルバイトをして生活費を稼ぎながらそれを考える事くらいです。

こうした事を考えるのは年齢的には遅すぎます。
それでも、自分の道を模索しながら生きていかないと人生が成り立ちません。
もはや『親を安心させたい』などといった事を考えず
自分のこれからの事だけ考えた方が良いのかもしれません。
非常に親不孝な考え方ですが、
自分で何も見出せず両親より先立ってしまうより、は。

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