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少しだけインテリぶってみる

  • 2011/03/07 23:55
  • カテゴリー:その他

散々だった君に届けイベントの待ち時間で論語を読みながらふと思った事。

孔子「詩三百を誦するも、之に授くるに政を以てして達せず、
四方に使して専対する能はずんば、多しと雖も亦奚を以て為さん。」(要約

胡桃沢梅「わたしが可愛いなんてわかって・・・
でも・・・そんなの意味ないじゃん・・・
風早がすきになってくれなきゃ意味がないじゃん!!」(単行本4巻より)

確かにこの2つの言葉はジャンルも目的も全く違います。
ただ、どんなに教養を得て着飾ったとしても、
本人の目的に到達できなければ何の意味もない、
という点では同じなのではないだろうかと感じます。
ただ、孔子の言葉は『詩経』を三百篇暗誦できる人が
その罠に嵌っている事に自覚しているかは分かりません。
あくまで教訓としてこの言葉を述べています。
一方、胡桃沢梅は最初から上の言葉を自覚した上で、
主人公である爽子に対して様々な謀略を仕掛けてきました。

上記2つの差は歴然としています。
教訓として自戒を促し、その結果定公の暗殺を防ぐ事ができた孔子。
風早のためにあらゆる手段を尽くし、
爽子失脚計画が破綻した際に上記の言葉を吐露した胡桃沢梅。
過去のトラウマから考えるとやむを得ないとは思いますが
計画が破綻しては何の役にも立たないでしょう。
孔子の教訓とはまさにこの事を言うのかな、と感じました。


現実と漫画を比べるのも滑稽な話ではありますが、
このような見方をするも結構おもしろいです。
胡桃沢梅にはかなりキツイ事を書きましたがこれも1つの愛情表現という事で。
もちろん、君に届けで一番好きなのは胡桃沢梅ですよ(言い訳)。

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