そろそろプロレスリング・ノアを語ってみる
- 2009/08/26 22:17
- カテゴリー:その他
三沢光晴氏が亡くなった日、私は大慌てでこの日記を書きました。
何で自分は今までノアの中継も見なくなり
会場にも足を運ばなかったのか、と責めながら。
しかし、その後の状況や亡くなられる前の状況を振り返ってみると、
ノアという団体が非常に問題だらけだったという事が分かります。
三沢光晴という「選手」が偉大だった事には変わりありません。
しかし、「経営者」としては疑問符の付く所もありますし、
「人格者」かどうかと言われるとお世辞にもそういえない部分はあります。
そこで、自分の状況も含めてノアについて色々書きたい事を書いてみます。
私がプロレスリング・ノアに興味を持ったのは2005年の東京ドーム大会。
ここで小橋や三沢の戦いを見てすっかりノアの虜となってしまいました。
その後は、小橋の癌が発覚するなどトラブルもありましたが、
団体としては依然好調でまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
特に、私は当時鈴木鼓太郎が好きでして、
この日に武道館でタイトル戦を生観戦できたのは貴重な経験だったと思います。
しかし、私が就職してからノアの話題をほとんど出さなくなりました。
数少ない記事の中には、秋山への批判もありましたから、
一時の盲目的なファンという状態からはもはや離れていたのでしょう。
個人的にノアを会場はおろかテレビでも見なくなったのは以下の理由があったからだと思います。
・住む場所が「広島→福島」と変遷してきたため、以前までのように会場へ足を運ぶ機会がほとんどなくなった
・社会人になり日曜の夜遅くまで起きている訳にはいかなくなった。だからといって録画して見たいとは感じなかった。
1つ目の理由は個人的な状況ですが、ノアの地方の弱さを改めて思い知らされるものでもあります。
広島にも巡業はありましたが、そういう時の開催日はいつも平日の18時からといった感じです。
忙しい営業マンがこの時間帯に会場に足を運べる訳がありません。
仕事が終わるのが8時だとしても会場に向かう頃にはもうメインの半ば。
とてもチケット分楽しめるとは思えませんでした。
考えてみれば、三沢氏がなくなった巡業は広島の土曜の夜からだったでしょうか。
その時間帯と曜日でずっと前から広島に来ればよかったのに・・・力を入れるのが遅すぎました。
2つ目の理由に関しては本当に個人的なわがままです。
ただ、この頃から放送時間が不定期になっていたと思います。
以前までは流動的な面がありながらも25:20からの放送を維持してきたのですが、
この頃になると26:00~27:00の始まりが当たり前になってきます。
ただでさえ、時間が変わるだけで見るのが面倒くさくなるのに
さらに遅くなってはすっかり見る気も失せてしまいました。
また、個人的に当時から感じていたノアへの不満をまとめると以下のようになります。
・いつまでも中心選手が三沢と小橋(たまに秋山)のためストーリーの幅が狭くなり飽きが来る
・力皇と森嶋の情けなさ。森嶋はすぐに鼻血を出すので見ているこっちが不安になってくる
・外国人の冷遇。ノアの誕生経緯を見ると理解はできるが、頑張っている外人が報われないのは酷いと思った
・2005年の東京ドーム大会で川田がマイクパフォーマンスをしただけでノアに出禁になったのは変
特に個人的に気になったのが外人の扱い。
鼓太郎&マルビンの対戦相手は外人コンビのチャンプだったのですが、
あれだけ名勝負を繰り広げたのですからもうちょっとノアリングで活躍させてもよかったと感じます。
当時でもベルトを取ってすぐに取り返されたので使い捨てられたという印象が強かったです。
好きな選手の対戦相手がぞんざいに扱われるのはあまりいい気持ちではありません。
川田の件は当時からも「出禁にした三沢と仲田龍は器が小さいなあ」と感じました。
あまりこの世界を知らない時の感想でしたが、
後々になってそれが少しも間違っていない事に気が付きました(汗)。
さて、そんな感じで久々にノアの試合を見てみましたが・・・
あれっ?前とぜんぜん変わっていない。
2年位たてば当時売り出し中だった選手がピークを向かえ、
団体を引っ張っていってくれるものだと思っていました。
小橋が癌で第一線の価値が失われ、
秋山がパニック障害で無理をさせる事ができないと発覚したから尚更です。
しかし、現状は相変わらず小橋や健介に頼りっぱなし。
KENTAも鼓太郎も小さくまとまりすぎてとても団体の看板とは呼べません(丸藤は怪我中なので置いておきます)。
森嶋に至っては「2年間何やっていたんだ!」と叫びたい位の体たらくぶり。
結局、現状に甘えて肉体改造すらやらなかったのですね・・・
団体側は潮崎を強引にエースに据えるみたいですが、
それは病気前の秋山や鈴木みのるとシングルをやっていた時にやるべきでした。
今やっても正直手遅れというか、
かつての新日本の棚橋や中邑以上に潮崎にとって大変な状況に陥るでしょう。
動画で潮崎の試合を見ましたがお世辞にも団体のエースと呼べる実力を持っているとは感じられません。
これから苦労が重く圧し掛かっていく事になるでしょう。
他のノア選手達に対してはもう何も言う事はありません。
余談ですが、かつての棚橋や中邑を「団体に祭り上げられただけの選手」と批判していた人は、
今の潮崎をどう思っているのでしょうか。
私は棚橋中邑を馬鹿にしたりはしませんでしたが、
若いうちからトップを張って大変だなあとは思いました。
それでも、棚橋は団体のエースに成長したのだから大したものです。
中邑はもう少し頑張って(汗)。
結局、団体が瀕死の状態に陥り、
自身もマット上でこの世を去るという結末になってしまいました。
悲しい事ですが、これでは三沢氏の経営方針が間違っていたと言わざるを得ません。
一方、三沢氏にあれだけ悪口を言われた馬場元子夫人は、
紆余曲折ありながら何とか全日本プロレスを解散の危機から脱出し今はプロレスから離れた穏やかな生活に。
最後に武藤に経営権を取られた時には色々な感情があったとは思いますが、
夫のジャイアント馬場が作った全日本プロレスを何とか存続させたのは良かったのではないでしょうか。
第一、三沢氏が全日本プロレスにいた頃に感じていた不満の原因は
馬場にもあった訳ですから馬場が存命中に何とかできなかったのでしょうか。
私も、昔は元子夫人に対して強い嫌悪感がありましたが、
今ではお互いのすれ違いが解消できなくて残念だという思いが強いです。
そして、元子夫人への悪口を聞いて、
自分の本性をさらけ出してしまった三沢氏に対しても非常に残念だと思いました。
完璧な人格な人間などいませんが、
プロレスという「イメージ・夢」を売っている商売においてそれは致命傷だったのではないでしょうか。
堅実経営・質実剛健・三沢小橋の最強伝説。
これらの偶像は、
・三沢氏の死
・関係者からの数々の暴露話
・団体の経営危機
・客をひきつけられない試合
という様々な要因によって脆くも崩れ去りました。
私もその夢に乗せられ、そして楽しんだ人でしたからあまり悪くは言いたくありません。
そういう意味では、これらを作り上げた仲田龍にはある意味感謝しなければならないでしょう。
その結果、夢から醒めた瞬間はあまりに虚しいものがありました。
現在残された負の遺産はあまりに大きすぎます。
それでも、一部の選手・プロレスマスコミ・盲目的なファンの中には
最盛期(旗揚げ初期~2006年位)の幻影を今でも追い続けているような気がしてなりません。
私は、決してプロレスリング・ノアが無くなってほしいとは思っていません。
しかし、団体の周囲を取り巻く環境はあまりに厳しすぎます。
団体が持ち直し、
「総括をするのは早すぎだったのではないか?」
という言葉を返される事をただただ願います。
何で自分は今までノアの中継も見なくなり
会場にも足を運ばなかったのか、と責めながら。
しかし、その後の状況や亡くなられる前の状況を振り返ってみると、
ノアという団体が非常に問題だらけだったという事が分かります。
三沢光晴という「選手」が偉大だった事には変わりありません。
しかし、「経営者」としては疑問符の付く所もありますし、
「人格者」かどうかと言われるとお世辞にもそういえない部分はあります。
そこで、自分の状況も含めてノアについて色々書きたい事を書いてみます。
私がプロレスリング・ノアに興味を持ったのは2005年の東京ドーム大会。
ここで小橋や三沢の戦いを見てすっかりノアの虜となってしまいました。
その後は、小橋の癌が発覚するなどトラブルもありましたが、
団体としては依然好調でまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
特に、私は当時鈴木鼓太郎が好きでして、
この日に武道館でタイトル戦を生観戦できたのは貴重な経験だったと思います。
しかし、私が就職してからノアの話題をほとんど出さなくなりました。
数少ない記事の中には、秋山への批判もありましたから、
一時の盲目的なファンという状態からはもはや離れていたのでしょう。
個人的にノアを会場はおろかテレビでも見なくなったのは以下の理由があったからだと思います。
・住む場所が「広島→福島」と変遷してきたため、以前までのように会場へ足を運ぶ機会がほとんどなくなった
・社会人になり日曜の夜遅くまで起きている訳にはいかなくなった。だからといって録画して見たいとは感じなかった。
1つ目の理由は個人的な状況ですが、ノアの地方の弱さを改めて思い知らされるものでもあります。
広島にも巡業はありましたが、そういう時の開催日はいつも平日の18時からといった感じです。
忙しい営業マンがこの時間帯に会場に足を運べる訳がありません。
仕事が終わるのが8時だとしても会場に向かう頃にはもうメインの半ば。
とてもチケット分楽しめるとは思えませんでした。
考えてみれば、三沢氏がなくなった巡業は広島の土曜の夜からだったでしょうか。
その時間帯と曜日でずっと前から広島に来ればよかったのに・・・力を入れるのが遅すぎました。
2つ目の理由に関しては本当に個人的なわがままです。
ただ、この頃から放送時間が不定期になっていたと思います。
以前までは流動的な面がありながらも25:20からの放送を維持してきたのですが、
この頃になると26:00~27:00の始まりが当たり前になってきます。
ただでさえ、時間が変わるだけで見るのが面倒くさくなるのに
さらに遅くなってはすっかり見る気も失せてしまいました。
また、個人的に当時から感じていたノアへの不満をまとめると以下のようになります。
・いつまでも中心選手が三沢と小橋(たまに秋山)のためストーリーの幅が狭くなり飽きが来る
・力皇と森嶋の情けなさ。森嶋はすぐに鼻血を出すので見ているこっちが不安になってくる
・外国人の冷遇。ノアの誕生経緯を見ると理解はできるが、頑張っている外人が報われないのは酷いと思った
・2005年の東京ドーム大会で川田がマイクパフォーマンスをしただけでノアに出禁になったのは変
特に個人的に気になったのが外人の扱い。
鼓太郎&マルビンの対戦相手は外人コンビのチャンプだったのですが、
あれだけ名勝負を繰り広げたのですからもうちょっとノアリングで活躍させてもよかったと感じます。
当時でもベルトを取ってすぐに取り返されたので使い捨てられたという印象が強かったです。
好きな選手の対戦相手がぞんざいに扱われるのはあまりいい気持ちではありません。
川田の件は当時からも「出禁にした三沢と仲田龍は器が小さいなあ」と感じました。
あまりこの世界を知らない時の感想でしたが、
後々になってそれが少しも間違っていない事に気が付きました(汗)。
さて、そんな感じで久々にノアの試合を見てみましたが・・・
あれっ?前とぜんぜん変わっていない。
2年位たてば当時売り出し中だった選手がピークを向かえ、
団体を引っ張っていってくれるものだと思っていました。
小橋が癌で第一線の価値が失われ、
秋山がパニック障害で無理をさせる事ができないと発覚したから尚更です。
しかし、現状は相変わらず小橋や健介に頼りっぱなし。
KENTAも鼓太郎も小さくまとまりすぎてとても団体の看板とは呼べません(丸藤は怪我中なので置いておきます)。
森嶋に至っては「2年間何やっていたんだ!」と叫びたい位の体たらくぶり。
結局、現状に甘えて肉体改造すらやらなかったのですね・・・
団体側は潮崎を強引にエースに据えるみたいですが、
それは病気前の秋山や鈴木みのるとシングルをやっていた時にやるべきでした。
今やっても正直手遅れというか、
かつての新日本の棚橋や中邑以上に潮崎にとって大変な状況に陥るでしょう。
動画で潮崎の試合を見ましたがお世辞にも団体のエースと呼べる実力を持っているとは感じられません。
これから苦労が重く圧し掛かっていく事になるでしょう。
他のノア選手達に対してはもう何も言う事はありません。
余談ですが、かつての棚橋や中邑を「団体に祭り上げられただけの選手」と批判していた人は、
今の潮崎をどう思っているのでしょうか。
私は棚橋中邑を馬鹿にしたりはしませんでしたが、
若いうちからトップを張って大変だなあとは思いました。
それでも、棚橋は団体のエースに成長したのだから大したものです。
中邑はもう少し頑張って(汗)。
結局、団体が瀕死の状態に陥り、
自身もマット上でこの世を去るという結末になってしまいました。
悲しい事ですが、これでは三沢氏の経営方針が間違っていたと言わざるを得ません。
一方、三沢氏にあれだけ悪口を言われた馬場元子夫人は、
紆余曲折ありながら何とか全日本プロレスを解散の危機から脱出し今はプロレスから離れた穏やかな生活に。
最後に武藤に経営権を取られた時には色々な感情があったとは思いますが、
夫のジャイアント馬場が作った全日本プロレスを何とか存続させたのは良かったのではないでしょうか。
第一、三沢氏が全日本プロレスにいた頃に感じていた不満の原因は
馬場にもあった訳ですから馬場が存命中に何とかできなかったのでしょうか。
私も、昔は元子夫人に対して強い嫌悪感がありましたが、
今ではお互いのすれ違いが解消できなくて残念だという思いが強いです。
そして、元子夫人への悪口を聞いて、
自分の本性をさらけ出してしまった三沢氏に対しても非常に残念だと思いました。
完璧な人格な人間などいませんが、
プロレスという「イメージ・夢」を売っている商売においてそれは致命傷だったのではないでしょうか。
堅実経営・質実剛健・三沢小橋の最強伝説。
これらの偶像は、
・三沢氏の死
・関係者からの数々の暴露話
・団体の経営危機
・客をひきつけられない試合
という様々な要因によって脆くも崩れ去りました。
私もその夢に乗せられ、そして楽しんだ人でしたからあまり悪くは言いたくありません。
そういう意味では、これらを作り上げた仲田龍にはある意味感謝しなければならないでしょう。
その結果、夢から醒めた瞬間はあまりに虚しいものがありました。
現在残された負の遺産はあまりに大きすぎます。
それでも、一部の選手・プロレスマスコミ・盲目的なファンの中には
最盛期(旗揚げ初期~2006年位)の幻影を今でも追い続けているような気がしてなりません。
私は、決してプロレスリング・ノアが無くなってほしいとは思っていません。
しかし、団体の周囲を取り巻く環境はあまりに厳しすぎます。
団体が持ち直し、
「総括をするのは早すぎだったのではないか?」
という言葉を返される事をただただ願います。
まさぽん
私は90年代初頭の三沢氏が鶴田からギブアップ勝ちを
収めてからのファンだったので、ここ最近のノアの現状は悲しいですね。
世代交代は進まない、森嶋は恵まれた体躯が有りながら
成長しない等々・・・
川田問題も同意します。
あの一件以降、三沢、仲田の(特に仲田ですか)
度量の無さとは・・空いた口が塞がらないとは正にこのことですよね
川田自身も最近はハッスル主体で殆どプロレスでは
活躍してないし(ハブられたらしいですけど)
棚橋&中邑は棚はそれなりに成長しましたけど
中邑は正直う~ん(笑)というのが感想ですか
アメリカ修行の効果はあまりなかったと(笑)