求め続けていた理想の日本人像からの脱却
- 2025/03/11 19:23
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- カテゴリー:日記
本日で東日本大震災から14年がたちました。
例年通り、今年も14:46に黙祷を行い、帰宅後は仏壇にお線香をあげました。
これだけの月日が過ぎても3月11日が『嫌な日』であるという気持ちはぬぐえません。
日が沈んでから降り始めた雨がそれをより強く感させられました。
テレビのニュースやX(Twitter)、Yahoo!知恵袋などを眺めていると
世の中にはどうしようもない方がこんなにいるのかとため息がをついてしまいます。
もちろんこうした方はどの国にも存在するのですが、私はかつて日本を『特別な国』であると信じていました。
そうした経緯から、事あるごとにこの国の現状と自分の理想の差に幻滅してしまいます。
現実を直視して前に進んでいかなければならないと分かっているとはいえ。
私は今まで『バランスの取れた理想の日本人』というものを強く求めすぎていました。
思想に極端な偏りがなく、感情に左右されずに物事を論理立てながら、常に是々非々で判断できるという人間を。
それを自分にだけではなく国民全体に要求していました。
皆がこのような存在になれれば日本という国家はより良くなるはずであると。
とはいえ自ら実現できないものを他の方に要求するのは土台無理な話でした。
メディアやSNSで非難されるような人間へこうした人物を目指すように説いても仕方ありません。
実際に私自身も自ら掲げた理想に縛られすぎて辛く感じた時が多々ありました。
そして「無理に飾るのはもうやめた。自らの目標へ一歩ずつ地道に進んでいこう」と開き直れたのはここ最近のことです。
このような考え方へ変えてからは自分の気持ちが少し楽になりました。
他者への期待も完全になくなったわけではありませんが、20代や30代の頃と比べると適度な大きさに縮んだと思います。
理想を捨てる必要はありませんし人間にとって必要なものです。
ですが非現実的な、あまりに実現する可能性が低いものに振り回されてしまっては意味がありません。
昨年の今日に記載したように、目の前に存在する身近な人、そして身近なものを大切にするのが
私にとって何よりも大切なことではないでしょうか。
一個人として行える活動は限られていますが、今後も自分ができることを積み重ねていきます。
例年通り、今年も14:46に黙祷を行い、帰宅後は仏壇にお線香をあげました。
これだけの月日が過ぎても3月11日が『嫌な日』であるという気持ちはぬぐえません。
日が沈んでから降り始めた雨がそれをより強く感させられました。
テレビのニュースやX(Twitter)、Yahoo!知恵袋などを眺めていると
世の中にはどうしようもない方がこんなにいるのかとため息がをついてしまいます。
もちろんこうした方はどの国にも存在するのですが、私はかつて日本を『特別な国』であると信じていました。
そうした経緯から、事あるごとにこの国の現状と自分の理想の差に幻滅してしまいます。
現実を直視して前に進んでいかなければならないと分かっているとはいえ。
私は今まで『バランスの取れた理想の日本人』というものを強く求めすぎていました。
思想に極端な偏りがなく、感情に左右されずに物事を論理立てながら、常に是々非々で判断できるという人間を。
それを自分にだけではなく国民全体に要求していました。
皆がこのような存在になれれば日本という国家はより良くなるはずであると。
とはいえ自ら実現できないものを他の方に要求するのは土台無理な話でした。
メディアやSNSで非難されるような人間へこうした人物を目指すように説いても仕方ありません。
実際に私自身も自ら掲げた理想に縛られすぎて辛く感じた時が多々ありました。
そして「無理に飾るのはもうやめた。自らの目標へ一歩ずつ地道に進んでいこう」と開き直れたのはここ最近のことです。
このような考え方へ変えてからは自分の気持ちが少し楽になりました。
他者への期待も完全になくなったわけではありませんが、20代や30代の頃と比べると適度な大きさに縮んだと思います。
理想を捨てる必要はありませんし人間にとって必要なものです。
ですが非現実的な、あまりに実現する可能性が低いものに振り回されてしまっては意味がありません。
昨年の今日に記載したように、目の前に存在する身近な人、そして身近なものを大切にするのが
私にとって何よりも大切なことではないでしょうか。
一個人として行える活動は限られていますが、今後も自分ができることを積み重ねていきます。