持ち続けていた歪んだ誇り
- 2024/03/11 18:53
- カテゴリー:日記
東日本大震災の発生から本日で13年を迎えます。
昨年同様、14:46には黙祷を行い、帰宅後は仏壇にお線香をあげました。
今年は1月1日に能登半島地震が発生し、最近では千葉県で大地震の予兆が叫ばれています。
こうした背景から、防災に対する意識や東日本大震災や阪神大震災について振り返る気運が高まりつつあります。
年が明けて早々、この国で生きる上では否が応でも地震と向き合わなければいけない現実を突きつけられました。
『嫌な日』と私が述べた事に対して苦情を入れられた『通りすがりA』氏。
この方は現在、どこで何をされていらっしゃるのでしょうか?
確かに私がこちらの記事を作成した時は浅慮でそこまで考えていませんでした。
この件に限らず、当時の私は物事に対して深く考える能力が優れておらず、
記事も頭に浮かんだ内容を勢いで書いていたため閲覧者の方に不快感を与えた場面も多かったです。
それでも、震災から10年以上が経過した今でも『嫌な日』という感情を拭い去る事はできません。
おめでたい記念日の方がいらっしゃると頭では分かっていても、です。
何度も申し上げていますが、私の人生で3月11日から『嫌な日』という感覚を抹消するのは至難でしょう。
恥ずかしながら、震災が起きるまで私はこの国、日本を『特別な国』だと信じていました。
自分なんかより頭の良い、立派な方が無数に存在し、他国よりも優れた国家であり続けられるのではないか
という思想が存在していたと思います。
特に震災直後は
「この経験から、日本はクリーンエネルギーの分野で他国より一歩先に進んだ国家となる」
という根拠のない希望さえ持っていました。
しかし、震災発生から13年を経て、この国には頭の良い方もいればそうでない方も多くいらっしゃる。
立派な方もいれば、だらしない・いい加減な方も大勢いらっしゃる、という当たり前の現実を痛感しました。
日本も他の国と変わらない、普通の人間が生活を営む普通の国です。
国家というものに対し自分の理想を投影していただけに過ぎません。
正直に申し上げますと、30代前半までは自分を卑下し続けていました。
挫折の連続で自分に対して自信が持てなかったためです。
それがこのような歪んだ誇りを持つ事に繋がってしまったのではないでしょうか。
今までの人生で何も成し遂げられなかった訳ではないはずなのですが。
このようにひたすら迷い続けた人生ではありましたが、30代後半になってようやく
「まずは自分ができる所から始めよう。そしてそれを大切にしていこう」
という境地に至る事ができました。
母が亡くなり、70歳を過ぎた父と二人で生活していく中でその重要性がより強まったと実感しています。
この考えにもう少し早く辿り着ければ良かったのですが…
幼かった私では身近な人・ものに目を向ける事さえありませんでした。
自分の問題が解決できる存在をひたすら私の外に求め続けていました。
このように、私が身近なものに対する大切さに気が付くのは非常に遅かったです。
それでも、遅かったとはいえそれは決して手遅れではないはず。
私はそう信じています。
私も40歳を過ぎ、既に人生の後半に入っています。
野心が完全になくなった訳ではありませんが、日記でも繰り返し述べているように
まずは目の前の事をしっかりこなしていくようにします。
地道に積み重ねられない人間が大事を成し遂げるのは不可能です。
自分に優しくできない人間が他人に優しくできるはずはありません。
昔は負の感情が高まると自分自身を傷つけてしまう時もありました。
もっと自分自身を大事にして、その気持ちを他の方にも伝えられるようにしていきます。
昨年同様、14:46には黙祷を行い、帰宅後は仏壇にお線香をあげました。
今年は1月1日に能登半島地震が発生し、最近では千葉県で大地震の予兆が叫ばれています。
こうした背景から、防災に対する意識や東日本大震災や阪神大震災について振り返る気運が高まりつつあります。
年が明けて早々、この国で生きる上では否が応でも地震と向き合わなければいけない現実を突きつけられました。
『嫌な日』と私が述べた事に対して苦情を入れられた『通りすがりA』氏。
この方は現在、どこで何をされていらっしゃるのでしょうか?
確かに私がこちらの記事を作成した時は浅慮でそこまで考えていませんでした。
この件に限らず、当時の私は物事に対して深く考える能力が優れておらず、
記事も頭に浮かんだ内容を勢いで書いていたため閲覧者の方に不快感を与えた場面も多かったです。
それでも、震災から10年以上が経過した今でも『嫌な日』という感情を拭い去る事はできません。
おめでたい記念日の方がいらっしゃると頭では分かっていても、です。
何度も申し上げていますが、私の人生で3月11日から『嫌な日』という感覚を抹消するのは至難でしょう。
恥ずかしながら、震災が起きるまで私はこの国、日本を『特別な国』だと信じていました。
自分なんかより頭の良い、立派な方が無数に存在し、他国よりも優れた国家であり続けられるのではないか
という思想が存在していたと思います。
特に震災直後は
「この経験から、日本はクリーンエネルギーの分野で他国より一歩先に進んだ国家となる」
という根拠のない希望さえ持っていました。
しかし、震災発生から13年を経て、この国には頭の良い方もいればそうでない方も多くいらっしゃる。
立派な方もいれば、だらしない・いい加減な方も大勢いらっしゃる、という当たり前の現実を痛感しました。
日本も他の国と変わらない、普通の人間が生活を営む普通の国です。
国家というものに対し自分の理想を投影していただけに過ぎません。
正直に申し上げますと、30代前半までは自分を卑下し続けていました。
挫折の連続で自分に対して自信が持てなかったためです。
それがこのような歪んだ誇りを持つ事に繋がってしまったのではないでしょうか。
今までの人生で何も成し遂げられなかった訳ではないはずなのですが。
このようにひたすら迷い続けた人生ではありましたが、30代後半になってようやく
「まずは自分ができる所から始めよう。そしてそれを大切にしていこう」
という境地に至る事ができました。
母が亡くなり、70歳を過ぎた父と二人で生活していく中でその重要性がより強まったと実感しています。
この考えにもう少し早く辿り着ければ良かったのですが…
幼かった私では身近な人・ものに目を向ける事さえありませんでした。
自分の問題が解決できる存在をひたすら私の外に求め続けていました。
このように、私が身近なものに対する大切さに気が付くのは非常に遅かったです。
それでも、遅かったとはいえそれは決して手遅れではないはず。
私はそう信じています。
私も40歳を過ぎ、既に人生の後半に入っています。
野心が完全になくなった訳ではありませんが、日記でも繰り返し述べているように
まずは目の前の事をしっかりこなしていくようにします。
地道に積み重ねられない人間が大事を成し遂げるのは不可能です。
自分に優しくできない人間が他人に優しくできるはずはありません。
昔は負の感情が高まると自分自身を傷つけてしまう時もありました。
もっと自分自身を大事にして、その気持ちを他の方にも伝えられるようにしていきます。