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震災を通じて『日本人』と『日本』を考える

  • 2019/03/11 19:44
  • カテゴリー:日記
今日で東日本大震災から8年が経ちました。
あっという間とは思いません、むしろ公私問わず様々な事が起こり過ぎているので長く感じます。
歳を重ねるにつれて時間の経過が早くなるとはよく言われますが、少なくとも私にとっては
20代の頃の方が短かったように思います。
今の方が昔よりも色々考えながら生活しているのでその影響かもしれません。

確定申告が終わり、通院している病院の外で待っていると、普段は音が鳴らないであろう
外のスピーカーから有線放送が流れました。
時刻は14:46、黙とうです。
開始時間はスマホに表示されていた時間とピッタリ。
1分という短い間、震災にかかわる事を頭に思い巡らせながら目を閉じてうつむき続けました。

3月11日が『嫌な日』という感情は今もあります。
と言いますか、福島県民でこの日を良い日であると捉える方はいらっしゃらないでしょう。
お子さんが生まれた方や結婚された方でさえ。
他の都道府県民の方には分かりにくいかと思いますが、福島県の地方ニュースでは
毎日震災関連のニュースが報道されています。
私が生きている間には震災関連のニュースは無くならないではないでしょうか。


昨年は日本という国自体に希望を見出せませんでした。
しかし、現在は

「たとえ日本という国家が滅んだとしても、日本人という民族が残ればそれでいいのでは?」

という思想を持ち始めました。
もし滅亡してしまったら、世界各地に散らばって『日本人』という民族を繋げればいいという考えです。
私は、様々な理由から他国で暮らす事になったとしても、自分が日本人であるという
アイデンティティを持ちさえすれば立派な日本人であると考えています。
日本の歴史上『民族=国家』という思想が強いので、この考えに至るまでに長い時間がかかりましたが、
そのように考えてみたら自分が少しだけ楽になれました。

どのような国でも自分の住んでいる場所で力を発揮して社会に貢献する。
それは決して恥ずべき事ではなく、むしろ『日本人』として誇るべきことなのではないでしょうか。
現在問題になっている日本人技術者の海外流出も、日本の『国家』としては大きな損失ですが、
日本人という『民族』単位でみると力が誇示できて大成功と言えるかもしれません。

もちろん何をしても全て無駄だから諦めろという訳ではありません。
むしろ、人間という生物は既存の枠組みを越えて今まで考えすらしなかった方法で
生き延びてきたのですから、とにかく自分が今できる事を頑張っていこうという事です。
なるようになるという楽観的すぎる考えは危険ですが、逆に悲観的すぎる必要もありません。
過去の人類もそのような形で生きてきてそれが現在に続いているのでしょう。
先の光が見えなくても、自分の続けてきた結果がその光になれるように生きていきたいです。

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