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3月11日を通して『人間』というものを考える

  • 2026/03/11 20:37
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  • カテゴリー:日記
東日本大震災の発生から本日で15年を迎えました。
例年のように14:46に黙とうを行い、出社前と帰宅後には仏壇にお線香を上げました。

嫌な日』と述べた記事に対して苦情のコメントを書き込まれた『通りすがりA』氏。
この方が現在どこで何をされているのかが気になりますが、あの書き込みから14年も経過しました。
もしかしたら既に亡くなられている可能性もあるでしょう。



私は一時期、

「東日本大震災を経験しても日本人は、人間は変われなかった」

と嘆いていました。
あの悲惨な原発事故を目の当たりにしても何も良くはならなかったのだな、と。
もはや何が起きてもこの国は変わらないと暗澹たる思いになりました。


しかし、今は

「そもそも、人間がほんの十数年程度で自らの本質を変えることができるのだろうか?」

という気持ちもあります。
考えてみると、人類が文明を築き始めてからまだ1万年も経っていません。
地球の46億年の歴史からすれば文明の存在は本当に一瞬と言えます。

その1万年に満たない時間で、人間という複雑な生物が自らを大幅に進化させるのは残念ながら不可能でしょう。
ましてや15年程度でそれを望むのは夢物語にもほどがあります。
現在では「科学や技術の進歩に人間の体が追い付いていないのではないか」という疑念が論じられているほどです。


このような考えに至らなかったのは私自身の未熟さに他なりません。
3年前には「震災前は20代の社会人にしては考え方が幼かった」と振り返っていました。
しかし、日本人や人間に対して過度な希望を持っていた震災後(30代前半)もまだ幼さが残っていたのかもしれません。
自分自身で実現できない理想を他人や国家に託すという思いとともに。



東日本大震災が発生してから15年が経過し、この間だけでも世界の価値観が目まぐるしく変わりました。
実際に同じ震災後という括りでも、私自身の思想や考え方は大きく変化しています。
物事のはやり廃りが激しく、ついていくのも容易ではありません。

唯一変わっていないのは

「自分自身を国家に委ねすぎない」

という考えです。


2年前に述べていたように、自分で日本という国家に対して勝手に期待し、そして失望していました。
私が望むように国や世間が動かず、ニュースを見るたびに憂鬱になっていた記憶があります。
今もこうした流れは続いていますが、それでもある程度は割り切れるようになり、以前よりは気が楽になりました。

もちろん、日本国民として生活している以上は最低限の責務を果たさなければなりません。
ですが「日本のために」とか「この国のために」という感情は既に薄らいでいます。
それよりもまずは地に足を付けた活動を続けることが大切であると考えるようになりました。


世界では辛い出来事が続いていますが、それでも一歩一歩前へ足を進めるしかありません。
元日に書いたように生きることを諦めずに、希望を忘れずに生活をしていきます。

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