あの東日本大震災から2年が経って
- 2013/03/11 22:22
- カテゴリー:日記
今日で東日本大震災から2年です。
自分にとっては様々な意味で忘れられない出来事です。
去年の日記では『嫌な日』と書いた事に対して指摘を受けました。
それでも、実家の地方が大惨事に遭い私が職を失った原因の日です。
ですから、たとえ他の方の記念日であっても
申し訳ありませんが『嫌な日』という私個人の想いは変わりません。
震災を境に、辛かった事・悔しかった事・悲しかった事、
それぞれ一杯ありましたから。
震災が発生した時は様々な声を聞きました。
部活の後輩の祖母の方が奇跡的に救出されたり、
知り合いの親戚の方が亡くなってしまったりと全てが思い出せない程です。
中には、震災直後にヤフオクを行った時に、
被災地の出品者の方から落札してお互いに励ましの声を送ったりもしました。
それでも、このような事があったからこそ、
―陳腐な表現ではありますが―『絆』というものを改めて感られたのだと思います。
現在の日本社会で忘れかけていたかもしれないものです。
それが、一時的で偽善的なものであったとしても。
そして私は現在、正社員はおろかアルバイトにも就けていない状況です。
今はアルバイトを中心に探していますが、
今月末にアルバイトさえ見つからないようでしたら実家に戻る予定です。
このまま一人暮らしをしていてもさらにジリ貧の状態に陥ってしまいますから。
正直、去年に会社を辞めた直後は、
「次の仕事くらいすぐに見つかる。書類選考も一杯通っているから大丈夫だろう」
と高をくくっていました。
しかし、それは非常に甘かったです。
面接では厳しい事を指摘され毎回不採用になるという憂き目に何度も遭いました。
これも、自分が何をしたいという戦略の欠落が原因だったと思います。
その戦略もいまの所明確なものが見えていません。
文字通り先が見えていない状況です。
これを打破するには自分の状況や能力を踏まえて今後を考えるしかありません。
少なくとも、正社員・サラリーマンというものに固執しない事からはじめます。
一時期は、面接の不採用などの影響で途轍もない絶望感を感じ、
「自分なんて社会にとって何の価値も無い。死ぬしかない」
と自殺さえ頭によぎりました。
それでも今は、
「自分がどうあれ世界が今後どうなっていくのか見てみたい」
という思いの方が強いです。
少なくとも、自分自身の手で死を選ぶという選択肢は捨てました。
両親や兄、親戚には迷惑をかけるかもしれませんが、
生きていく事こそが何より大切だと思うので。
第一、自分が死んでしまっては
国会図書館へ寄贈する後継者が現れるかどうか分かりませんし。
この生き方でしたら仙人になる事が理想的でしょう。
霞を食べて生きられるようになり、俗世を俯瞰的に見る事ができます。
しかし、私には地獄で両親が滅多打ちにされる光景を見て
声を出さない事はできません。
だからこそ、私は『人間』なのだと思います。