エントリー

お笑いに点数を付ける事への考え

『お笑い』を披露する場としてM-1グランプリやキングオブコント、
古くはボキャブラ天国や爆笑オンエアバトルなどがあります。
私達はこうした番組を楽しみながら観ていますが、冷静に考えると

「お笑いに点数を付けるのは不自然な事ではないか」

という思いがあります。

別にこれは査定に対する明確な基準がないからという訳ではありません。
他の競技でもフィギュアスケートなど芸術系のスポーツでは同じような問題を抱えています。
また、私達の日常業務でも数値化できないものに対して優劣をつけなければいけない時があります。
批判が出る事は仕方ないとはいえ、こうした問題が存在するのはやむを得ないでしょう。


個人的に変だなと感じているのは、

「芸というものが数値化という世俗的なものに迎合している」

という事です。

私自身はお笑い、いえ芸能や芸術というものはこうした俗っぽさに対して、
真っ向からぶちかましていくものではないかと思っています。
芸人やアイドル、芸術家は『普通』でいてはいけない職業です。
(もちろん生活を営む上で最低限の倫理観は必要ですが)

それだけに数値化という堅気的なものさしで測るのは少し違和感があります。
それによって各個人の中に秘められている『芸能』の可能性を狭めているのではないかという疑念もあります。


それでも私自身はこうしたお笑い番組などで芸人に対して採点する行為は全く否定しません。
実際、子供の頃にボキャブラ天国を観ていた時も『誰が一番面白いのか』という点に夢中になっていました。
そして出場者自身も自分に対する数値化によって自らの商品価値を高めたいという思惑もあります。
様々な形でお笑い番組が続いているのは、視聴者と出場者の利害が一致しているからなのでしょう。

人間は残酷なもので、古今東西『誰が最強なのか』というものを決めたがります。
自分がその対象になるのは嫌なのに他人に対してはそれを躊躇なく行えるという。
そりゃあ『ゴールドマンとシルバーマンは(中略)戦ったらどっちが強いの?』という質問も出てきます。
人間ってワガママだなあと思いますが、私自身にもそうした気持ちがあるだけにあまり強くは非難できません。
人類が共通して持っている性なのかもしれません。



余談ですが、ゴールドマンとシルバーマンの喧嘩は完全にこの二人が悪いと思います。
確かに前述の質問をした子供を悪く言う方もいらっしゃいます。
ですが超人と人間に大迷惑をかけるほどの決闘をしたこの2名はあまりにも大人げないです。
この調子ですと仮にこの子供が質問しなくても、飲み屋で隣の席の人間(超人?)が口にした

「ゴールドマンとシルバーマン、どっちが強いんだろうなあ。ガハハハハ!」

という与太話を聞いただけで本気になりそうです。

もっとゴールドマンにその場を収められる謙虚さがあれば…
シルバーマンにお世辞でもいいから兄を立てる気遣いがあれば…
ザ・マンの教育がしっかりしていれば…
このような事を考えても詮無きことではあります。
特にゴールドマンは、若い頃に借金を断られ、偉くなってからその人に復讐した某武将より執念深いですし。


余談の余談ですが、私は両者でしたらシルバーマンの方が強いと今でも信じています。
38巻以降、次々と強い敵が現れインフレ(≠超人強度)が加速していますが、
それでも作中で一番強いのはシルバーマンであると疑っていません。

プロレスの強さ幻想はこうした個人的な心情で作られたのだなあとつくづく感じます。

ページ移動

トラックバック

  • トラックバックはまだありません。

トラックバックURL

https://gfan.jpn.org/diary/trackback/2038

コメント

  • コメントはまだありません。

コメント登録

  • コメントを入力してください。
登録フォーム
名前
メールアドレス
URL
日本で一番高い山は?(漢字で)(スパム対策)
コメント
閲覧制限

ユーティリティ

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ページ

  • ページが登録されていません。

ユーザー

過去ログ

Feed